最初に申し上げるしかないのですが、私はほとんどピアノ、というかキーボードが弾けません。
過去にはなるほど思い返すと、確かに10年間くらいピアノの練習やレッスンは受けてきました。
それでも常識的な判断としてピアノを弾けるか引けないか?どちらだと問われれば、まず「弾けない」レベルです。
正直に語るとすれば、こう言うしかないのです。
だからお恥ずかしながらこうタイトルに「私のピアノ遍歴」などと語ってしまうこと自体、本来は温度差ありすぎ、図々しすぎです。
けれど、もともとピアノというか、キーボードを叩く、そして音を出すこと自体は大好きな方です。
そこでこの記事では、私のピアノ遍歴、つまりこれまで所有していたピアノや鍵盤楽器の説明とともに、そのレッスンや練習について、下手の横好きなりにこれまで苦労もし、いろいろな経験を持っていると言えるかも知れません。
そういう私のピアノ遍歴、キーボード遍歴というものを今回は語ってみます。
縁がないなりに苦労した?4つのステップとは
それを大まかに時系列で説明すると、下のような流れになります。
赤字のところで、ピアノやキーボードを所有して、そして習ったり練習していました。
(子ども時代~高校時代)
何もなし
↓
(大学時代)
(音楽教室などの)貸しピアノ
↓
電子キーボード(Roland?)
↓
(以下、社会人時代)
↓
中古グランドG3(YAMAHA)
↓
何もなし
↓
Roland Piano Digital DP603(Roland)
(現在)
上の時系列でおわかりの通り、電子キーボードや電子ピアノなどを含めて、私のピアノ遍歴には4つのステップがあります。
ただ、貸しピアノを使っていた時代には平行して電子キーボードを持っていた時期もありましたし、他にもグランドピアノのG3を所有していたときには、昔の小学校や幼稚園で使ったような木製オルガン(ペダルを踏んで空気を入れて音を出す式の、あれですね笑)も知人の音楽教室の先生から譲り受けていて、たまにいじっていました。
もちろんこうした遍歴や経験をすることは、他の誰にもお勧めできるものではありません。
ですが、それでも私のように、わずかな音楽関係のコネとフトコロしかない人間にとっても、頑張ろうと続けていれば、必ずどこかで何とかなる、そういうチャンスは巡ってくるものだ、と言えるのかも知れません。
ですから、私のこれまでの経験談がひょっとして何かの役立ちにならないとも限りませんので、少し過去の事と一緒に語ってみたいと思います。
最初はブラバンとポピュラー、そしてだんだんクラシックの世界に
まず結論として。
私にとっては、ピアノやチェンバロ、あるいはオルガンなどなど鍵盤楽器は今でもこの上ない魅力があります。
ですが幼少の頃から特段にピアノやクラシックに興味を持ったわけでもありません。
ましてや親にピアノを買ってもらって、先生についてレッスン、などと言うことは全然想像だにしませんでした。
ですが、成長するにつれてクラシック音楽に興味が目覚め、その延長でピアノや鍵盤楽器に興味が尽きなくなったというわけです。
それでも中学時代はブラバンでトランペットを吹いていて、クラシックよりはもっととっつきやすいポピュラー音楽の方が好きでした。
というか、クラシック音楽はジャンルにせよ内容にせよ、はたまた音自体そのものがなんだかとっつきにくくありました。
ですが、トランペットなどの楽器を練習するにつれ、だんだんピアノなどに興味がわいていったのです。
ピアノなどの鍵盤楽器はなにしろ
一度に複数の音を出せる
という機能が、自分にとっては今でも新鮮で、絶えず引きつけられてしまうのです。
トランペットで一つの音、単音ばかりしか鳴らせなかった分、一種のあこがれに似た魅力が感じてしまうのかも知れません。
だから、時折でしたが中学時代頃に音楽室にあったグランドピアノで、三和音を自分で見つけてポンポン弾いては
「いいなこの響きは」
などと、自分で悦に入ってました。
ピアノの習い始めは大学に通い始めてから
いや、以前はそれでも講師についてピアノを10年近く習っていました。
しかしながら、その期間というのはあくまでも大学時代、つまり20代前後から始まってその後合わせて10年くらいの間です。
通っていた大学は東京にあって、音楽とは縁もゆかりもないような、名もない私立四大文学部でしたが、大学に入学するや、下宿の近場で音楽教室を探し出し、そこでピアノと作曲を勉強し始めました。
ピアノは「メトードローズ」という、いわゆるバイエルと似たイメージの、いかにも小さな子供向けの教本から始めています。
作曲はというと、何しろ和声学の初歩も何もわからなかった同然(※)だったので、まずは和声学の初歩から学び、例の『和声 理論と実習Ⅰ 音楽之友社』から始めています。
和声学は『和声学 上巻 プリングスハイム著 全音楽譜』を買って読んだりしています。しかしいずれもこのときはピアノはもちろん、手元には何らの鍵盤楽器もなく、なので和声学の勉強も「テキストを読んで、それで音を頭でイメージする」みたいなことだけでした。
今考えたら、こんな無茶な努力もどこかで役に立ってるかな、と思いたいくらいにヒサンですねW
その間、確かにピアノの練習をいそしんでいたことは確かですが、正直な話全然「自分はピアノが弾ける」と豪語できるレベルには達しませんでした。
具体的にどこまでのレベルに行けたか、というとインヴェンションを数曲で止まっています。
他にはシューベルトのアンプロンプチュを一曲、ソナチネを一曲程度ですね。
このレベルで「自分はピアノが弾ける」などと言ってのけるのは、やっぱり気が引けすぎです。
しかもそのレベルにいた時点というのは、もうかれこれ20年あまりムカシのこと。
今ではほとんど練習などもしていません。
というか、ここ1年くらいはとりわけその前に怪我をして右手を三本突き指しており、今でも痛みが出たりグーが握れない状態になっています。
ピアノを求めて四苦八苦。最後に落ち着いた「30分20円」の超安い貸しピアノとは
そういうわけで、私が作曲の勉強を本格的に講師についてスタートしたのは、普通科の4年制大学に通学し始めてすぐ、近所の音楽教室でのことです。
当然ながらその教室でも、やはりピアノなど何らかの「音の鳴るもの」つまり楽器類を手がける必要性は求められました。
当時私はそういうピアノとかは持っていませんでしたし、それ以前に生まれてこの方ピアノを所有したり習ったりと言うことも皆無でした。
だから、その音楽教室に作曲の勉強で通いはじめながら、それと並行して同じ音楽教室の中のピアノのカリキュラムをとり、同時にピアノも習ったのです。
ところがくり返しますが、私の手元にはピアノがないため、練習もできませんでした。
どうしたらよいか?
というわけで、その音楽教室の先生と相談し、最初の内は近くにあった〇AMAHA音楽教室の個室ピアノを時間借りして練習していたのです。
ところが、その〇AMAHA教室の貸しピアノは高いこと高いこと。
確か1時間で1000円だったと思います。
もちろん相場としてはそれは普通なのかも知れませんし、たとえばバンドグループが貸しスタジオを借りるなどすれば、時間貸しで数千円になるとか聞いています。
それをバンドのメンバーで割り勘で支払う、など工夫しているようですね。
で、とにかく貧乏大学生だった自分にとっては、この貸しピアノ料金は当然ながらかなりサイフにこたえました。
その数ヶ月後(というか、確か1年くらい後?)、私は悲鳴を上げて再び音楽教室の先生と相談したわけです。
いやはや、その先生にもずいぶんお世話になったのですが、そこでその先生が持ってきた話というのが、その先生が受講していた音楽学校の貸しピアノです。
それは尚美音楽学校という、都心・後楽園のほど近くにある音楽専門学校(今は「尚美ミュージックカレッジ専門学校」という名称に変わり、システムも変わっています。念のため)でした。
当時開設していたLM(ライフミュージック)コースに入れば、学校の貸しピアノがメチャメチャ安価で借りて弾ける、といいます。
確か当時、20円払えば30分個室のピアノが弾けました。
今はどうかわかりませんが、その料金、どう考えてもそれまで利用していた〇AMAHA音楽教室の個室ピアノとは天地の差です。
今考えても、ものすごい「抜け穴」です。笑
もちろん私はすぐさまその話に飛びついたわけです。
尚美のLMで作曲の勉強もはかどった?「和声 理論と実習Ⅲ」を完遂!
ただ、そこまでの安価で貸しピアノを使えるためには、先のLMコースに入会しなくてはならず、それで別に決断を迫られています。
LMコースは各種専門学校の本科ではなく、それこそ社会人が片手間に習い事をするためのコースという位置づけだったと記憶します。
ですがその頃になると、少なくともピアノはともかく作曲、というか和声学の学習内容はその音楽教室から離れて独習状態になっていたため、かなり気楽に教室を移ることができました。
ただ、その音楽教室の先生には様々にお世話になっています。
特に最初の内、私が〇AMAHA音楽教室の個室ピアノの料金が高すぎてヘタレていたときには、その先生にローンを組んでもらい、当時はまだ斬新だったシンセサイザー型のキーボードを購入しました。
それから先は、練馬区の下宿から都心の大学、そして後楽園の尚美に通い詰めになりました。
そして、それを大体2,3年程続けたでしょうか。
その間、(LMコースで)作曲を師事していた講師からは、正式に尚美の学科に入るようにとか研究科に入れるかも知れないとか、いろいろと誘われたこともありましたが、他の事情もあってどうしても踏み切る気にはなれませんでした。
ただ、その先生に紹介してもらった尚美の作曲担当の講師には、よく面倒を見てもらっていた方だと思います。
というか、元々の音楽の先生とその尚美の講師(T先生)とは相当に交流が深く、いわば完璧にコネで紹介してもらったところもあるのですが、その分私も学習がはかどった方だったと思います。
実際、他の(特に本科生の)生徒だったら複数の生徒を相手にして、それでも30分くらいで終了するレッスンを、私の場合だと特に和声学や対位法の実習を山のようにやってきたせいか、レッスンを修了した時点で
「君のレッスンは90分かかるな」
「今日は2時間レッスンやっちゃった」
などと言われたことがありました。
実際、和声学でも対位法でもこの尚美でほとんど習っていますし、特に和声学は下にお伝えするような手のけがで中断する前に、音友社「和声 理論と実習Ⅲ」を終了し、途中で講師が変わったとはいえ、ついにこの分厚いテキストを完遂しました。
そしてその後、まだ当時出版していたデュボア「和声学」のレッスンが始まり、それと前後しながら対位法も今は絶版となった「三声ー八声対位法(池内友次郎)」に踏み込んでいったわけです。
やっぱりピアノとは縁がない?何度も指や手のけがを
ですがそうこうしているうちに、今度はとんでもない失敗をして、当分の間ピアノが弾けなくなりました。
実はこうして音楽の勉強をしている間、「体が資本」と言いつつウェイトトレーニングを公立の体育館で長い間続けていたのですが、そのある日、寝ざしのベンチプレスで重さ80㎏程度のバーベルを持ち上げていたところ、左手首ひねったままで強引に持ち続けていたために筋をかなり痛めてしまったことがあります。
それ以来完全にピアノの練習もレッスンも、かれこれ1年くらいストップする羽目になりました。
というか、その痛めた手首の治療が「ひと仕事」で、今考えれば
「どんな治療が一番効くのか、全然わからなかった」
というのが正直なところです。
痛めた最初は下宿近場の接骨院、整形外科を渡り歩き、鍼灸治療も試してみました。
それでもなかなか思うように回復せず、結局は田舎の実家に帰ってその近くの接骨院を頼っています。
時間をかけてゆっくり治療すれば治るものだったのかも知れませんが、当時は音楽の勉強やピアノの練習もチャラ、それでお先真っ暗になってしまい、途方に暮れたものでした。
その結果、当然尚美の作曲レッスンをもやめざるを得なくなりました。
そしておよそ1年後くらいに意を決して再び上京。
さらにそれからしばらくして講師を変え、再びピアノの練習も含めて作曲のレッスンも再開しています。
しかしながら、その約1年後くらいには車の運転中に指を突き指し、何と関節から軟骨が出る始末でした。
これでやはりピアノの練習も中断。
合わせて作曲の勉強もやや経って後にそれまで、となっています。
現在の右手突き指とともに、つくづく思い知ったのは
「自分はよっぽどピアノとかキーボードには縁がない」
ということでしょうか。
ただ、よくよく考えればヘタなり横好きなりに、今の今まで自分の好きに音楽と二人三脚している、と言えるかも知れません。
これだけの目に遭っても、結局自宅に電子ピアノを持ち込んでいますし、またこうしてPC上で譜面を毎日見るような日々を送っています。
縁がなさそうで、あるといえばある縁かも知れません。
ですがあったとしてもこういうのは「腐れ縁」というべきでしょうか?爆