和声や対位法を勉強していると禁則というのが出てきます。
使ってはならない旋律進行や和音連結、あるいは和音構成音とか、ですね。
今回はもともとそんな禁則でありながら、特殊なケースとして使用が許されるものがある、というハナシです。
今回はそのうち「ホルンの5度」というものになります。
名称的にけっこうほっこりなじみ易そうなので、この「ホルンの5度」を、よく似ている「ホルンの8度」と一緒に語ってみました。
「ホルンの5度」「ホルンの8度」とは「並達5度」「並達8度」の特殊なケース
「ホルンの5度」「ホルンの8度」を語る前に、まず「並達5度」「並達8度」を知る必要があります。
なぜかというと、「ホルンの5度」「ホルンの8度」は「並達5度」「並達8度」の仲間であり、その特殊なケースとなるからです。
まず並達5度。
これは二つの和音が連続する場合、そのうち特定の2声部が先行和音から後続和音へと上下同じ方向に進む場合に生じます。
その際、先行する和音ではその2声部で5度は生じていないが、後続する和音の同じ声部の間で5度が出来ており、同時にこの2声部がソプラノ、バスといったいわゆる“外声”で出来上がるもの。
これが禁則事項となり「並達5度」と呼ばれます。

続いて並達8度というのは、上の内、「5度」が「8度」に変わるもので、禁則事項に該当する点も含めて他の諸事項はすべて同じです。

ホルン5度とホルン8度
さて本題、「ホルンの5度」「ホルンの8度」に入るとして、上に譜例であげてみた2声部、あるいは3声部以上でその外声間にできる「並達8度」とか「並達5度」。
この内、同じ並達5度、8度でありながら特に使用が許されるものとして、ホルンの8度、ホルンの5度、という呼び名で知られる特例があるのです。

過酷な使用でボロボロになった蔵書・音友社「和声 理論と実習」。
当然ながら並達5・8度の説明と禁止はちゃんと記載があります。「ホルンの5・8度」の記載も当然ありますが、なぜか「ホルンの5度」「ホルンの8度」という名称自体は出てきません。
このへん執筆者側に何らかの意図を感じたりもしますが、その記載がないためにいきなり他で「ホルンの5・8度」という名称を見つけるとかえって困惑の種かもしれないですね。
まず「ホルンの5度」から下に譜例を使って説明します。
「ミ、ソ、ド」と下声が跳躍で上行する際、この三つの音に合わせて上声を「ド、レ、ミ」と順次進行で上行させれば、真ん中の「ソ」と「レ」との間にできる並達5度が「ホルンの5度」です(下図、左側の譜例)。
そして「ホルンの8度」というのは、真ん中の音程が8度を形成するものです(下図、右側の譜例)。
このように、並達5度、並達8度であっても、それを形成する外声間の2声部のうち、先行和音から上声が順次進行する場合なら、使用が許される、これらをそれぞれホルンの5度、ホルンの8度と呼びます。


倍音の多い楽器で知られるホルンを用いると、ピストンを使わずにこれらの音を出せ、それゆえにまた、昔からホルンでよくこの「5度」や「8度」がよく用いられているようです。
スイスの民族楽器、アルペンホルンでもホルンに似た音を出したりできるので、アルペンホルンの合奏で「ホルンの5度」を聴いた方も多いと思います。

ただいずれにしても、5度の響きが8度よりもけっこう特殊な印象を持つためか、ホルンの5度の方がずっと有名になっているようで、ネット上でもよく目にします。
なお、上行ばかり取り上げましたが、下行の際も同様で、このようなホルンの8度あるいは5度だったら許される、ということになります。

だからこれが禁則だとか絶対避けるべきだとかは、ひとまず、あくまでもとした上で、学習課程上の、それも古典的様式上でのハナシと考えて良いでしょう。要するに楽典です。
ですが、それでも学習上で、そして基本的な音楽理論の理解としてはこれも絶対につかんでおかなくてはなりません。
なぜかというと、まず学習上ではそのような音楽表現の「違い」をしっかり耳で聞き分け判断する力を養う必要がありますし、そうして錬成し培った聴覚や音楽表現を自己の将来の音楽活動に貢献させていく必要があるからです。
今回もそんな堅苦しいハナシにチョビ首を突っ込むことになり恐縮ですが、そんな堅苦しいハナシに少しでもモフらせたくトライしてみました。

禁則事項の音楽用語は親しみやすいけど現実の作曲上ではうざい?
ここでちょっと、こういう学習上での禁則事項と、現実に今流れているたくさんの曲の関係について考えてみたいと思います。
現実にはこういう学習上での禁則お構いなし、たっぷり自由な様式の曲とか、それほどに規則事項に煩わされないスタイルの曲、などがいくらでもあふれています。
なぜそんな禁則事項に当たる音楽表現がよく用いられているのか?
というと、要するに聞いた側の感触が優先するからです。
理論上には確かに禁則事項に取り上げられていたとしても、それを実際に聞いてそんなに違和感ない、けっこう上手く聞こえる、というケースがままあったりします。
そしてまた同時に、そういうケースは往々にして作曲処理上ではより簡単に、シンプルな作曲や処理ができやすいため、結局そういうものをこしらえてしまう、聞き慣れてしまう、というハナシにつながります。
で、もっとハナシを広げれば、そうやって慣習的に長い年月を経てみんなで常用していった結果、
「もともと禁則事項だったけれど、そのうちのこういうケースにあてはまるならまあまあ良い音楽だから大丈夫だぞ」
「もともと禁則事項だったけれど、使いやすいし音楽的にもなかなかGJ。だから禁則止めておこう」
というような歴史的とも言えるような時間的規模で禁則の例外が出たり、禁則を止めたりした!?
そういうケースもあるのではないかと思うのです。
だからこういういろいろな理論上、学習過程上での規則というのは、学習過程とか特段の音楽様式を持つ実作曲などを除いて、いくらでも無視しようとかまわないわけですね。
ただしそうはいっても、おごそかに「禁則」とあるからには、そこに相応の理由がもちろんある、となります。
禁則をむやみやたらに破っていくとおかしなものも出来上がる?
ハナシを続けて、ふつう私たちが聞いている、調性音楽。
そんな短調とか長調とかの音階構造を持つ音楽について観ていきますと、古典やクラシックそのままの厳格さではないにせよ、それに似せたり目指したりするような曲のフォームというのは、今もなお案外とそういう規則事項に縛られているのではないでしょうか。

確かに学習上の禁則事項をたっぷり破った名曲もあります。
特にクラシックの現代音楽はもとより、そのジャンルに時代的に近づいたものはスゴい(個人的な独断含む)。
ですが我々が一般的に耳にするような、ちゃんと調性あり、耳になじんでいるポップ系の音楽だと、けっこうそういう学習上の禁則事項にマッチングしている表現も少なくないようです。
だからあまねく無限大の音楽表現を見ることができる現代にあって、そんな音楽の上であっても、学習段階で習い覚えた禁則をやみくもに破ってしまうような作曲をすると、得てしてオカシなものができあがる可能性がある。
ということは一方で言えるように感じます。
その際あえて強引に禁則を破って作り続けるか、または他の代案を考えて巧みにかわしたり、逃げ回ったりして行くことになるのか?

どんな方針をとろうと、このあたりは作曲者のウデの見せ所と言えるかも知れませんし、うま~く使うことで、むしろ音楽上の効果がより素晴らしくなるものがあるのも確かなようです。
禁則事項に見えてもダメなものばかりではない?
だからホルンの5度など、確かにふつうは禁則の部類に入るのだけれども、その効果がなかなか捨てがたい、それが古い時代から分かっていたので今の今まで使われ続けているものも実はあるのです。
大体、大方は禁則事項に当たる中、特別に音楽効果の良さを買われて許されている様な場合には、同時に過去の有名な作曲家たちもよく用いるようなケースが多いようです。そういうきっちりした古典様式の作曲法の中でも「オキテ破り禁則破りもこれならOK」、という場合があるわけで、探っていくとホルンの5度など、有名だったり有名作曲者自身の名前の付いた名称が付けられていたりします。
「ホルンの5度・8度」すら許されないケースがある?
最後になりますが、ちょっと踏み込んだハナシとして、実のところ学習段階ではこれすら許さないケースもあります。
「ホルンの5度・8度」というのは確かに因習的に許されてきた、大勢の有名高名な作曲家も堂々と用いてきた歴史がある、とは言えます。
しかしながらそれでも基本的、本源的には5度、8度を生じる「悪しき進行・響き」とは一方で言えるのかもしれません。
そのようながっつり厳格な立場に立てば、
「並達5度、8度は何でもダメ!」
という約束事を学習過程に課す現象もないわけでなくなります。
究極の厳格レベルとでも言いましょうか?
たとえば、私が開設しているオンライン講座『和声教室オンザウェブ』の対位法講座で使用している『二声対位法・池内友次郎著』(p.23下[禁則6]など)がそうですね。
あくまでも対位法の教程ですので、和声学のそれとはまた異なるものになりますが。
ここでまた少しハナシを傍らに振りますが、対位法のテキストは、和声学テキストよりも執筆者や教程によって規則禁則の振れ幅がかなり大きい、という印象があります。
このあたり主観的な印象も混じってしまうのですが、その背景の一つには、
・音楽史を見ても対位法は和声よりも歴史が長いこと、
・そしてその分時代によっていろいろな多声曲が生まれてきたことから、その時代ごとの規則事項ができ、逆にその時代が過ぎればそれが廃れてしまう、という事もあったようです。
・今、つまり現代ではごくごく大まかなハナシとして、こういう背景からギリシャ旋法をそのまま使った対位法テキストもありますし、一方で現代の長調短調の調性に基づくテキストも多いです。現在は大体ですが後者が主流みたいですね。
・ただ、対位法の諸規則禁則を「どう許していくか」「どう禁じていくか」は、ハナシを戻すとかなりテキスト同士で異なります。あくまでも私自身の妄想邪推憶測幻想としていいますと、対位法での規則というのは、和声学以上に微妙だと思います。
ここでじゃあ「何が微妙か?」
と言いますと、
禁止にしたり許したからといってそれほど耳で聞いて変だとか正しいとかハッキリしないケースが多い
というのが有るかも知れない、ということです。
対位法の学習の場合、ほぼ間違いなく最初は二声の実習からですが、その二声の響きというのがはじめの段階からすぐ4声から始まる和声学と異なり、非常に希薄です。同時にそれに伴う形で、いろいろな点で曖昧模糊としています。
こういう「なんだかよくわからない」初学の時点をとりわけ取り上げてみると、そこに対する規則付け、禁則作り自体もものすごく細心の配慮を要求されることになるのかもしれません。
そこにまた実際に耳にしてみて、二声におけるその二つの音をどう判断していくのか、という基準が複数の著者によって大幅に異なってくる、というのは有るかも知れません。
言い出すときりがないのでこの辺で止めますが、「ホルンの5度」も基本的に5度の響きですので、単品で鳴らすと特有の響きになります。
だからこれをどうとらえるかは、テキストごとに違ってくる。
そういう現実もあってしかり。
とだけ押さえておくとよいと思います。






